親(保護者)にとって先生の言葉は大きい
お疲れ様です!
お立ち寄りいただきありがとうございます! ばよです。
保育園の先生の言葉、親にとってはウエイトが大きいです。スゴク。
つうこんの一言
今(2020年6月)から5年前・・・
長男タロは3歳半でした。まだまだオムツを愛用していました。
だいたい2歳後半〜3歳頃。
以下の3つのことができるようになると、そろそろトイレトレーニングを始めてもいいかも、とのことです(細かいことはもう忘れました)。
- おしっこの感覚が2時間以上あく
- 上手に独り歩きができて、駆け出せる
- 自分の意思を伝えられる
要するに、長男タロはトイレトレーニングがかなり出遅れていた、というわけです。
”保育園ではトレーニングしていても、お家でやってないんじゃダメですよ”ということを先生は暗に言いたかったんだろうなーと拝察します。
しかし、全くやってなかったわけではないんです。
一進一退を長いこと繰り返していました。
タロとともに、トイレトレーニングの出口の見えないトンネルの中にいたのです。
そんな中での先生の一言はこたえました…
さて現在、その先生はご自身の子どものトイレトレーニング真っ最中です!
エールを送ります😁
忘れられない、うれしかった言葉
さてしばらく学校を休んでいたので忘れていましたが、長男タロは発達障害のため小学校では支援級に属しています。
でも支援級でずっと過ごすのではなく、通常級と行ったり来たりしながらの学校生活です(教科によって支援級・通常級で授業を受ける)。
私が子どもの頃とは違うんだなー!と好意的に思っています。
タロの症状に診断名は付いてないのですが、発達が凸凹である、と一言言われました。
要するに得意なこと、不得意なことの差が激しい。振り幅が大きいそうです。
そんなタロが3歳の後半頃、保育園で過ごしているあいだ発達障害の特徴が出ていたので(たくさんの子どもたちの中にいると、やはり行動が目立つ)、
先生から療育相談センターに行ったほうがいいと言われました。
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タロの様子を保育園で見学させてもらった
療育相談センターに行くまでと、発達障害を受け入れられるまで。
それぞれ時間がかかりましたが、今ではオールオーケーです。
そんな日々もあったねと思っています。
しかしながら、タロ年長のころはとてもそんな懐の広さがなかったので、いつも鬱屈とした思いを抱えていました。
”母親である私のせいだ”
”小さい頃、タロが頭を強くぶつけたからかもしれない、もっとちゃんと私が見ていれば…”
とにかく自分を責めていました。
保育園でわが子はどんな風に先生やお友だちと過ごしているんだろう・・・
この目で確かめたい。そうでなければ納得はできない、と思いました。
そこで許可を得た上で、保育園での様子を見学させてもらい、主任保育士の先生から口頭での説明や日頃の様子を聞かせてもらっていました。
タロは普段、一人で窓の外を眺めたり、みんながやっていることをやろうとはせず、本を読んだりしていました。
みんなと同じことができない。
これは親にはこたえます…。
でもこの日、主任の先生が ——
「私は思うんですが…、
タロちゃんにとって、”おかあさん”という心のよりどころがあるから
保育園で頑張れたり、担任とのお約束も頑張れるんじゃないかと…」
私が知らない、タロの様子を聞かせてくれました。
”心のよりどころ”という言葉の響きがなんとも言えない、特別なものに聞こえて、本当にうれしかった・・・(>_<)
私もこんな風に、誰かの心を温められるような人になれたら。
発達障害がなんだ。
タロは可愛いわが子に変わりないじゃないか・・・。
心にすーっと浸透していきました。
おわりに
親は自分のことならどうでも、わが子のことを褒められるのならともかく、否定されるととかく感情的になりがちです。
「私のことはどうとでも言え。だが…この子のことを悪く言ってくれるな!」て感じですかね。
子どもや、自分の親のことを悪く言われるの、悲しくなるんですよね。そのうち怒りに変わる…。
先生、いつも子どもたちが大変お世話になっています。
どうしても上記の気持ちが顔を出したりします。アドバイスによってはカチンとくるかもしれません。
あしからずご了承くださ〜い(^^;
長々とお読みいただき、ありがとうございました!