すみません!!
今回の記事、はっきり言って長いです(^^;
2020年3月2日付記事とかぶる内容もあります。
目次を読んでくださるだけでもう十分です!
私は現在、専業主婦として夫を支え(られてるといいな…)、家事をこなし(適当だけど…)、子どもたちとゆっくりした時間を過ごしています。
去年までずっと会社員として忙しい時間の流れの中にいたので、今のゆっくりとした日常にまだ実感がわきません。ヘンな感じです。
自分の仕事に限界を感じ体をこわして退職してしまったわけですが、これまでと変わらず、会社の発展を祈っています(旦那もお世話になっているし)。
入社のきっかけ
漫画家の夢
今から15年以上も前、私は大学卒業後に定職につかずに、フリーターをしていました。
当時いわれた「就職超氷河期」という言葉に甘えて、真面目に就職活動もせずに自分の夢を追いかけていたのです。
1年じゃ短すぎるし、3年では長い。
就職はいずれ必ずするから、2年間だけ時間が欲しいと親に懇願すると、親はこころよく許してくれました。
夢は、漫画家になることでした。
それなのに貴重な2年間のうち漫画制作に費やしたのはほんのわずかで、平日はアルバイトで疲れ果て、週末は遊びほうけて時間を無駄にする生活でした。
約束の2年はあっという間に過ぎた
結局、漫画は一度だけ出版社に持ち込んだ程度。
このまま描いていても漫画家になれる保証なんてない。
だったら描き続けてもしょうがない。
大した活動もしていないのに、自信のなさからそんなマイナス思考にとらわれ、描きたい気持ちが急速にしぼんでいきました。
机に向かっても何も描けなくなり、約束の期限の2年は、あっという間に過ぎました。
- 自分はこの2年間、いったい何をやっていたんだ…
- 就職先をみつけなければ…
- ろくに漫画活動もできなくて親にも申し訳ない…
そんな思いを抱えてもんもんとしていた時に、地元ではわりと身近な企業A(以降「A会社」と呼びます)が、社員を募集しているという情報を母が持ち帰ってきたのでした。
長続きしない私が仕事を続けられた理由
A会社の採用試験の結果、晴れて合格。将来が約束されたような気持ちになり、私は心底安心しました。
自分には漫画家なんて無理だわ、漫画家さんは本当にすごい、という尊敬の念をあらたに、漫画家への夢は吹っ切れました。
就職が決まったものの、私はお世辞にも仕事のできる人間ではないので、とても不安でした。何しろ自分の夢への活動もまともにできなかった人間です。
しかしせっかく入社できたのだから長く勤めたい。
結局のところ14年の勤続年数となるのですが、長いのか短いのか微妙な年数かもしれません。でも自分としては長く勤められたかな…と思っています。
それは以下の理由のためだと思っています。
仕事のできない私に、みんな親切に教えてくれた
先輩や上司、同僚は、一緒にいるのが楽しくて、ユニークな人たちばかりでした。
「ばよちゃんおはよう!」
「ばよちゃん、こんど飲み会やるからよかったらきてね」
苗字ではなく、愛称で呼んでくれました。
それから私は仕事の物覚えが悪く、いつも迷惑をかけてばかりでしたが、その度に先輩や上司に助けてもらいました。
これが仕事を長く続けられた一番の理由だったと思います。
本当にありがたかったです。
夫も同じ会社だった
夫とは同じ職場になったことは一度もないけど、同年代同士で集まった飲み会等で次第に親しくなりました。
結婚式にもA会社の人たちにたくさん来てもらい、すごく思い出深いものになりました。
会社に対して、夫婦で歯車になるんだー、という気持ちが少なからずありました。
私たち夫婦を出会わせてくれた会社に、今でも感謝しています。
出産後も働き続ける女性たちがたくさんいた
子どもが生まれてからは仕事と家庭のやりくりがとても大変になりましたが、会社の女性の先輩たちも同様にバリバリ働いている姿に、何度も鼓舞された気持ちになりました。
自分もいつか、先輩たちみたいな仕事のできる人になりたいと憧れていました。
仕事をしていて辛かったこと
仕事も家庭もやることがたくさん! 忘れっぽくてミス連発!
母の帰宅を待ち続ける長男次男
仕事は多岐に渡るものでした。
接客あり、電話応対あり、事務処理仕事も多数あり。
他の人たちにはパッとできる仕事が、遅々とした仕事ぶりでした。
何しろブログ作成にも毎回時間かかってます…
月に何度も、帰宅時間が22〜23時に及びました。
子どもたちは夫や祖母の寝かしつけでは寝ようとせず、私の帰宅をずっと待っていました。
睡眠時間の足りない長男が、翌日授業中に寝てしまうことも。
どうしようもできなくて本当に参りました。
忘れ物多発で保育園と子どもに迷惑かける
保育園での持ち物も忘れ物が多く、先生たちも呆れていたと思います…。
スモッグ、ハンカチ、上履き、提出書類、はては保育園カバンの中身まるごと忘れる。
いったい何度、保育園の先生に貸してもらったかわかりません。
先生の可愛らしくて優しい笑顔に、何度救われたでしょうか…。
時間に余裕がなく、いつもイライラしていた
出産後も仕事を続けることに何の迷いもなく、当然のように復帰。
ところが小さい子どもを抱えた共働き生活は大変なものでした。
仕事をしながら「ああ…今日の夕飯は何にしよう」とぼんやりしたり、「そろそろ保育園のお迎えに行かなくては…でもなんか帰りづらい」といらぬ気を遣ったり。
保育園の閉園ギリギリに子どもをお迎えに行って、その後は急いで夕飯の支度をし、怒りながら食べさせ、バタバタしながらお風呂に入れ、自分が寝落ちしそうになるのを必死でこらえながら寝かしつけ。
子どもがやっと寝た後は、残った家事を急いでやっつける。
全ては明日のため。
いつも余裕がなく、イライラしていました。
夫は、言わないとやってくれません。家では何もしたくないと思っているようです。
わかるよ、だって私もそうだもん。
いったい何度、旦那に怒りをぶつけたか。
週に一度、金曜日の夜が何とも言えない幸せな時間でした。
子どもの急な発熱
本当に子どもの急な発熱には参りました。
わりと近くにお互いの実家はあったものの、どちらの親もフルタイムで働いているため子どもを預けることができませんでした。特に実母は仕事だからと何が何でも休んでくれません。
夫が休みなら預けて出勤しましたが、たいていは私が休みました。
休む時の会社への連絡は、本当に気が重かったです。
わが子の病状より、会社のことを気にしているなんてひどい親だなと何度も思いました。
特に会社の繁忙期は胃がキリキリする思いでした。
会社に連絡を済ませ、受話器をおいた後はもう気がラクになるんですけどね。
病児保育も何度か利用
何度か、病児保育のお世話になったこともあります。病気や病気回復期にいる子どもを預かってくれるところです。
ただし、当日いきなりの利用はできません。最大で5名しか利用できない上、医師が記入した所定の書類が必要なのです(書類は病児保育施設のサイトで入手可)。
そういうわけで、毎晩のように「どうか明日も元気で、熱が出ませんように」と祈っていました。
今振り返って思うこと
人権について学んだことはよかった
新入社員教育のときや、毎年12月頃の映画会・講演会では人権について学びました。
映画を見、多くの講演者の話を聞いて思ったのは、相手の立場に立って物事を考えること、相手を思いやる気持ちが何よりも大切だということでした。
文字だけのコミュニケーションになりがちなメール、インターネット等にも通用するかなーと思います。
相手を傷つけないように、相手を不快にさせないように、ということを心に刻みました。
あの頃の自分はよく頑張っていた
いつも何かに追われるような、それでいて時に綱渡りのような。
そんなスレスレの緊張感をもう味合わなくていいと思うと、ちょっと寂しいけれどホッとします。
そんな日々を、人よりもずっと要領の悪い自分がよくやっていたなと、懐かしんでいます。
経済的に考えると早まったかもしれない
最終的に体を壊して退職したわけですが、わが家の家計を考えると経済的に厳しくなりました。
旦那はおもに住宅ローンと食費担当。
私の口座引き落としは月々の光熱費、固定資産税、スマホ電話代、自家用車の維持費、子どもの教育費、子どものおもちゃ代、子どものお菓子代、子どもの(略)…
あ あ あ あ あ ・・・
考えるだけで辛くなってきます。
とりあえずこんな私を拾ってくれる働き口があることを祈って、就職活動するほかありません。
私と同じような立場の方へ伝えたいこと
あなたは素晴らしい頑張り屋さんです
子どもがまだ小さくて手がかかり、そんな中仕事を持っている方へ。
素晴らしいです! 応援しています。
私みたいなのでもなんとかできたので、あなたならきっと大丈夫!
自信を持ってください。
会社を辞めようか続けるか悩んでいたら
極論、会社はいつでもやめることができます。
やめてしまえばもう元に戻すことはできません、覆水盆に返らずです。
自分の我慢の限界ギリギリまで、その仕事にしがみついてもいいと思います。
とくに正社員職なら。
子どもはいつまでも小さいままじゃない
子どもは小さいうちはすぐに熱を出します。そしてしょっちゅう甘えてきて手がかかります。こちらの言うことを聞きません。いちいち危なっかしいです。
だけど、子どもは少しづつ、確実に成長していきます。
一年はあっという間に過ぎ、どんどん大きくなります。
だんだんと手がかからなくなっていきます。
この3つを辞めてしまった私に言われたくないとは思いますが、書かずにはいられませんでした…
子どもにとって働く親とは
それから子どもは、働く親の姿をカッコイイと思っています。
私の家も共働きで、小さい頃は「友だちのお母さんは家にいるのに…」と寂しい思いもしましたが、ある程度の年齢になると気にならなくなりました。
両親のスーツ姿がたまらなく好きでした。
おわりに
長文なだけでなく、つたない文章をここまでお読みいただき、ありがとうございます。
現在、私はブログで育児マンガを投稿しています。
漫画家にはなれなかったけれど、自分の描いたマンガを読んでくださる人がいます。
あの頃の自分にはまったく想像もつかないことで、まるで夢のようです。
皆様には感謝してもしきれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出